「ガンダムが歩く街」企画成立の背景
結婚してシマッタ!: ガンダムが歩く街
(北九州市の市長がソフト政策「明るい話題」で検討する主なもの中に「ガンダム」を街中に歩かせるというものがある)
提案者は30歳以上36歳未満、というかわたしと同世代だろうと確信しました。
これを読んだとき、「提案者は30代係長かも知れないけど、40代課長だってノリノリだったはずだ」と思いました。
これは宇宙戦艦ヤマトからガンダム辺りまでのアニメブームの構造に関係します。(以下、自分らの世代では常識的な事を偉そうに書きますがご容赦を)
これらのアニメは今でこそ有名な作品ですが、本放映当時はどちらも当初の予定よりも放映話数が短縮されました(はっきり言って打ち切り)。後半の展開がすごく急なのがその証拠です。
ブームの発端はヤマト本放映後に始まります。当時は中学生になればアニメは卒業というのが普通でしたが、本放映を見た一部の人間から「ヤマトは子供だましじゃない」という評判が広がりました(当時の基準から言うと子供だましじゃないんだってば)。そしてヤマトを見たいと思った中高生、大学生たちはファンクラブを結成し、各地方の放送局へ再放送を嘆願しはじめました。
最終的には宇宙戦艦ヤマトは劇場版として再編集・公開されました。そして1978年「さらば宇宙戦艦ヤマト」でピークを向かえます。(「ヤマト2」でふざけんなと離脱する者続出でしたが)
高校や大学にアニメ系のサークル・同好会ができはじめ、アニメ雑誌が創刊し、アニメ音楽のレコードが販売され、お子様向けキャラクタ商品でないアニメグッズが販売され、コミケにアニパロ(アニメ・パロディ)分野ができたのもこの頃です。(「オトナの男の子向け」分野ができるのはもう少し後)
ガンダムの本放映は1979年(だから宇宙暦は0079)。名古屋テレビの制作、ヤマト後でもまだ子供向けと見られていた「ロボット物」で、またもや本放映ではヒットせず、一年の予定が短縮されています。
しかし、ヤマトで成立した「アニメ・ファン」(またはアニメファンを相手にした業界)がこれを"発見"し、再放映、映画化の道を進みます。(ちなみに、ガンプラ、ガンダムのプラモデルのブームは更に後になります。)最初のガンダムブームのピークは81、82年の劇場版の頃になります。(一歩先の「ルパン三世」もまた、同じ道を歩んでいました)
さて、宇宙戦艦ヤマトブームの時、アニメのファンクラブ活動の中心となった人々が1958年生まれ位です。トリビアの泉スーパーバイザーの唐沢俊一、オタキングの岡田斗司夫がこの年の生まれです。BSマンガ夜話レギュラーの大月隆寛は59年生まれ。エヴァンゲリオン監督の庵野秀明が60年生まれ。(自分は鉄腕アトム本放映年生まれ)
というわけで課長までは一体となって企画され、部長決裁を迫る感じですね。(企画を動かすにはカネが要る)
…だから最近昔のアニメなんかのリメイクが多いんだよなぁ。ちょっと安易に感じます。
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Comments
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ちなみにこの市のアイデア、「スーパーロボット特区」を作る→企業を募集するというもの。市の特区申請が国から認可(もしかしたら市長決裁までいるか)されたら、今度は某企業とかで提案者@30代が「この企画いけませんか?」と企画書を提出、係長が(以下略)。
テレビ番組(アニメやドラマ)のリメイク企画は、安易だというのには、同感ですね。懐かしいのは懐かしいけれど..。
Posted by: 「あ」 | 2004.03.03 06:58 AM